MENU

武相荘(ぶあいそう)に行ってみた

早いもので、今年も残すところ少なくなって参りましたが、諸兄姉の皆様におかれましてはいかがお過ごしでしょうか(笑)

 

私はと言いますと、急に親離れが進んだ息子達の影響で、休日は否が応でも時間を持て余すという、嬉しい様な寂しい様な複雑な心境に直面しております。

 

自由な時間が増えたのは良いんですが、唐突な変化にどう過ごしていいのか要領を得ず、右往左往しているうちに、ふとかねてから行ってみたかった旧白洲邸、通称武相荘(ぶあいそう)を訪れてみようと思い立った訳であります。

 

武相荘とは日本で一番かっこいいと言われた男、白洲次郎(しらすじろう)が1943年から83歳で没するまで暮らしていた東京都町田市にある旧邸のこと。

buaiso.com

 

彼は終戦直後、GHQの要人に「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた、容姿だけではなく生き方もまた、べらぼうにかっこよかった人なのであります。

 

 

上の二冊が旧邸の売店に置いてあったんで、即購入し、むさぼるように読みました。

 

敗戦直後、アメリカは勝った国が正義とばかりに、日本国憲法の原案として彼ら、しかも素人がたった2週間で作ったものを押し付けてきます。当然、次郎をはじめ、日本の多くの要人がそれに抗い、反対します。

 

しかし、彼らをもってしても、それを覆すことは出来ませんでした。何故なら、アメリカはこの案が通らなければ、天皇陛下の身の保証は無いと脅してきたから。

 

当時は今と違い、天皇あっての日本という、いにしえからの意識がまだ色濃く有りましたから、そこを抑えられては流石にぐうの音も出なかった事は想像に難くありません。

 

次郎は「今にみていろ!占領から独立国に主権を回復したらこんな憲法直ぐに変えてやる!」と激しく息巻いていたそうな。

 

ところが終戦から80年にもなんらんとする現在も、ご周知のとおり憲法は変えられることはありませんでした。

 

私はその理由として、アメリカが仕組んだ「100年かけて日本を骨抜きにしてやるぞ計画」、いわゆる「ウォー・インフォメーション・プログラム」すなわち「戦争についての罪悪感を日本人に植えつけるための宣伝計画」が見事なまでに功を奏したからだと推察します。

 

アメリカは自分達に都合の良い史観をでっちあげ、押し付けることなく、学問、メディア、映画等の娯楽、あらゆるものを駆使し、巧みに情報を操作して、日本人に戦罪意識を見事に植え付け、二度と自分たちに逆らえないよう、長い時間をかけて計画通り、いやそれ以上にまんまと日本を骨抜きの残念な国にすることに成功したという訳です。

 

他国が作ったインチキな憲法を、後生大事にして今に至り、もう手の施しようのない残念な国になり下がった日本。毎日のように北朝鮮からミサイルが飛んできてるのに、何もできず手をくわえてみているしかないような憲法は、今すぐにでも変えなければ、近い将来この国は無くなるぞと、真剣に今後の日本を憂う様になって久しいのであります。

 

 

話が逸れちゃってゴメンナサイ。

 

 

ふと訪れた武相荘で手に取った文庫本を読み、改めて彼の生きざまに魅了され興奮しちゃったのであります。

 

そして、そんな彼の遺言がこちら。

 

 

葬式無用 戒名不用

 

 

死に際すらかっこいいじゃあないですか。

 

私も真似してやろうと思ったんですが、私の場合「アイツ、葬式代にも困ってたんだな、可哀そうに」とか言われそうなんで、止めときます。

 

それではまた(笑)